共和国の歴史

宇宙空間観測所周辺

「陸の孤島・内之浦」が「世界の内之浦」になった日〜三話 ロケットとともに歩む、内之浦〜

2016.06.01 up

ロケットと共に歩む内之浦

苦悩と喜びを共有

内之浦に決まったとはいえ、建設予定地自体がとにかく何も手がついていない山のため、事前の調査は困難を極めた。背の高い草をなぎ倒しながら、30分で10mしか進めない。そんな状態が1時間、2時間と続き、調査班がくじけそうになったころ、「大変でしょう。どうぞ食べてください」と婦人会の女性たちが差し入れたおはぎ。それをほおばり、調査班を率いていた丸安教授は「ここをロケット発射場にしたい」という決意をより固くしたそうだ。

気象等、数回の調査が行われた。

実験場の開所を歓迎して、町を上げて祝賀ムードの内之浦

実験場が出来上がってからも、衛星の打ち上げは順調にはいかなかった。初の国産人工衛星である『おおすみ』が上がる前は4回失敗。当時観測所に勤めていた渡曾さんのお父様は、家でその話はしないものの、さすがに落ち込んでいたとのこと。「失敗するたび、父が沈んだ顏をしていました。飛んでうれしかったのを覚えています」と渡曾さん。

ロケット打ち上げの時期は1月2月になることが多く、みんながピリピリするため、少しでも気持ちをやわらげようと、早咲きのヒカン桜を植えた。それを「ロケット桜」と呼んでいる。

観測所敷地内にある、初の国産人工衛星『おおすみ』のモニュメント。背後の樹木も、町民たちが植樹したものだ

宇宙開発の歴史と歩み続ける

「ここ内之浦には、戦後の宇宙科学の歴史そのものが集約されています。ですから、記録や記憶をずっと伝え積み重ねていく責任があります」。

何度も失敗して世間から批判されていても、支え続けてきた町の人と観測所との深いつながり。「この信頼関係を大切にしていこう、協力しよう」という気持ちが若い人たちにも受け継がれているそうだ。

「昔は内之浦といえば、世界中が知っている場所でした。今後もそう在り続けないといけない。『ロケットの町』がみんなの自慢であり、誇りなのですから」と渡曾さんは、観測所と内之浦の関わりについて収集した、分厚いファイルを手に微笑んだ。

取材メモ

内之浦の人々にとってロケットの打ち上げは日々の生活に密接に関わるもの。その成功が自分の喜びとして感じられる、ごく身近なものであるということを、はっきり感じました。
この内之浦の60年もの宇宙開発の歩みを、残していきたいという動きがあるそうです。その本当に貴重な歴史的資料、拝見できるときを楽しみにしています。

取材・文/松田享子 写真/日高裕之、牧工(写真家/元南日本新聞通信員)

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