共和国の歴史

宇宙空間観測所周辺

「陸の孤島・内之浦」が「世界の内之浦」になった日〜二話 町民とともに夢を共有〜

2016.06.01 up

町民とともに夢を共有

平地がなければ作ればいい

糸川氏がここだとひらめいた土地はお椀を並べたような起伏の多い地形で、久木元町長は「とてもではないがロケット発射場には向いていない」と思ったそうだ。しかし糸川氏の中では、「そのお椀のような部分を削って台地にし、そこで出た土を使って道路を作る」という考えが、天啓のようにひらめいたらしい。

常識や固定概念にとわられない糸川氏の「逆転の発想」こそが、その後の宇宙開発の発展にも大きな影響を与えていくことになる。

辻説法で町民を味方に

この時期、まだ内之浦以外にも候補地は存在した。しかし、糸川氏の根回しと久木元町長の説得により、漁協や社会党、町民の不安が払しょくされ、皆が好意的であったこと。そして地磁気の低緯度観測や将来の気象観測という目的からも、候補地の中では南端であることが優位に働き、第一候補となった。

当時の建設予定地全景

糸川氏は、町の人たちを集めては辻(つじ)説法を行っていたそうだ。

「糸川先生は町のおじちゃんおばちゃんに、一生懸命ロケットの話をしてくださった。宇宙やロケットの夢を共有していたのではないか」と渡曾さん。 観測所の整備とともに、地元の発展を常に考えていた糸川氏。ロケット輸送に陸路を使用したのは道路整備がすすむことを、実験班宿舎を建設しなかったのも、地元が潤うことを期待してのことだった。

「こんな田舎に東大のえらい先生が来て、世界レベルの研究をしてくれる」ということが誇りとなった町民たち。当時、まだ長坪地区はランプで生活していたが、ロケット発射場ができたことで、電気がつき、道路も舗装された。だがこれを求めての受け入れではなく、渡曾さんいわく「そもそも内之浦の人々は、何かあれば協力する人柄」なのだそうだ。

建設工事の様子

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