共和国の歴史

宇宙空間観測所周辺

世界一愛される発射基地「内之浦」〜前編:観測所を応援し続けた地元愛〜

2016.06.01 up

おおすみ成功を祝う旗行列

観測所を応援し続けた地元愛

hyoushi

内之浦婦人会と宇宙研ロケット班の皆様

九州の南端に近い東岸、鹿児島県肝属郡肝付町に、映画「はやぶさ」の舞台にもなった内之浦宇宙空間観測所がある。「世界で一番、住民との交流が深い発射基地」と言われるほど深いその交流の物語を、元内之浦婦人会会長の橋本雅子さんと、内之浦旅館組合・組合長の白坂直道さんにうかがった。

橋本 雅子さん(元内之浦婦人会会長)
婦人会の書記・副会長・会長職を歴任。地元の小学校で、実験場と内之浦の歴史を広く語り継ぐ奉仕活動を続けている。
白坂 直道さん(内之浦旅館組合 組合長)
関係者が宿泊するための施設が不足していた内之浦。「宿泊施設を作って欲しい」との要請に応じ、元々経営していた料亭を活かして、旅館「潮騒荘」を開業した。イプシロン打ち上げの際は「イプシロン弁当」を考案する。打ち上げ当日、700~800人分を作り、完売したそう。

家族同様の想いで支えた婦人会

「『ロケット発射場の安住の地は内之浦しかなかった。こんなにも実験場(※1)と地元が密接なつながりを持っているところは世界中どこにもない』と言ってくださる宇宙研の方々の言葉は、私たち町民の誇りです」という、橋本雅子さん。昭和37年(1962年)に内之浦に実験場が作られた当時、20代後半だった橋本さんは、婦人会の一員としてさまざまな活動に参加されたという。

内之浦の婦人会は、実験場が作られる当初から、建設への協力を惜しまなかったそうだ。例えば、実験場の土木調査があまりにも困難で、絶望的な気持ちになった調査班に、「大変でしょう。どうぞ食べてください」とおはぎを差し入れた。反対されるどころか、自分たちのことを想ってのこの差し入れは、折れそうになっていた調査班の心に深くしみたという。また人手不足から、土木工事が遅れていたときには、婦人会が自らシャベルを持ち、道路作りの作業を行った。「とにかくロケット発射場を応援する気持ちでいっぱいだったと思います」と橋本さん。さらに起工式では、200人分の炊き出しをおこなって関係者を歓迎した。

(※1)ロケット実験をおこなう施設の呼称

100名ものスタッフのために民宿の手配をしたり、仕出し屋がないことから、婦人会の54名が調理師免許を取ったり、実験場内に売店を作ったりも。当時はあくまでも「実験」であったため、内之浦に実質的なメリットはなかったという。それでも「自分たちの土地を選んできてくれた」それだけで、実験班のスタッフが、家族同様に感じられたのだろう。

道路作りの奉仕作業を行うご婦人。

橋本さんのご主人も、テニスやゴルフで実験班の方々と交流があったとか。「終わるとみんなでぞろぞろうちに帰ってきて、ご飯を食べたり飲んだり。楽しかったですね」

その後、日本初の人工衛星の打ち上げが連続して失敗し、国会や新聞テレビで叩かれる日々が続いた。「先生方を励ましたい一心で、『今度こそ成功しますように』とお宮参りをしたり、千羽鶴を折って贈ったりするようになりました」と橋本さん。千羽鶴は、その後衛星の打ち上げの度に必ず贈るようになったそうだ。

1970年、初の国産人工衛星『おおすみ」の打ち上げが成功したときには、「祝成功」の旗を持ち、町中をパレードした。

橋本さんのお宅には、実験場(現観測所)とロケットにまつわる写真や記念品、手紙、寄せ書きなどがたくさん。

観光協会からの案内で橋本さんのお宅にお客様が訪れたときは、最後に一緒に鶴を折るそう。

スタッフの「帰る場所」に

実験班スタッフのために、旅館を始めた白坂さん。多い時には15軒前後もの民宿があったという。それぞれのスタッフは、最初に泊まったところを定宿にし、家族ぐるみの付き合いをする。内之浦に来たときは、まず「ただいま」と顔を見せるのがお約束だそう。

スタッフの勤務時間はまちまちなため、食事の用意が夜中にかかったことも。「今思うと大変だったなと思いますが、それでも互いの繋がりができました。今でも宿に泊まるときは、おみやげを持ってきてくれますよ」と白坂さん。

2013年9月の『イプシロン』打ち上げ前には、スタッフを励ますため、観測所のスタッフ全員に伊勢海老のお味噌汁をこっそりふるまったという。そして打ち上げ当日には、イプシロンにちなみ、見学者にも1246杯振る舞ったそうだ。

内之浦町のロケット祭りや銀河マラソン、カラオケ大会に運動会など、町のイベントにスタッフも参加して、町民との親睦を深めていた。