共和国の歴史

宇宙空間観測所

ロケット職人が見た糸川英夫〜前編:ロケットはここからはじまった〜

2016.06.01 up

「はやぶさ」が打ち上げられたM-V型ロケットの模型

ロケットはここからはじまった

林さんの取材に中部さんも駆けつけてくれました

それまでの定石をひっくり返す常人離れした発想で、内之浦に実験所を作った糸川英夫氏。スタッフにとっては、気軽に話すことはできない雲の上の人のような存在だったそうだ。そんな糸川氏に誘われてこの道に入り、氏の下で働き、42年間にわたるロケット人生を送った林紀幸さんに、糸川氏とロケット開発の歴史や内之浦でのエピソードをうかがった。

林 紀幸さん
昭和33年(1958年)東京大学生産技術研究所の糸川研究室に就職。宇宙研ロケット班班長として、2000年の定年までに計430機ものロケットを打ち上げた。

糸川氏とペンシルロケット

取材がはじまるやいなや、机の上にどんどん並べられていったのは、糸川氏が戦後の日本で初めて開発した『ペンシルロケット』の実物だ。
「4種類が揃っているのは、世界にここだけですよ」と林さん。
こんなに貴重なものを、目の前で見る機会はなかなかない。然るべき場所に保管しておかなくていいのだろうか? 普通であれば「返せ」と言われるところだが、「誰かが持っていてくれたらそれでいい」というのんびりした風潮が、当時の宇宙研(※)にはあったそうだ。

(※)宇宙研…JAXAの前身である東京大学宇宙科学研究所

ペンシルロケットを前に。写真左から全長230mmのスタンダード。300mmは、秋田の道川で空に向かって打ち上げたもの。二段式は、国分寺で水平に飛ばした。そしてもう一つは、複数のロケットを束にしたクラスターロケットだ。

ペンシルロケット

わずか23cmしかない鉛筆型の超小型ロケット。昭和30年(1955年)東京国分寺で、これを垂直方向ではなく水平方向に発射させる実験に成功。小さなロケット実験から日本の宇宙開発の歴史が始まった。

これが本物の燃料棒。ある決まった量が燃える時間(燃速)を計ることで、そのロケットの性能がわかるという。

その名の通り、鉛筆ほどのサイズをしたロケットは、イチから設計して開発するのではなく、戦後の工場にあったありあわせの材料で作られた小さなロケットだった。「こういう小さいものですべてがわかる。ペンシルロケットもH-IIAロケットもスペースシャトルも原理は同じだ」と糸川氏はよく口にしていたそうだ。確かにこのペンシルロケットで、すべての性能、基本データを出すことができた。これらは、のちの本格的な飛翔実験の際にも有効に活用され、ロケット技術は著しい進歩を遂げることになる。

ペンシルロケットと糸川氏

そして、昭和37年(1962年)、ロケットの飛行性能の向上に伴い、宇宙開発の舞台は秋田県道川実験場から内之浦へと移され、糸川氏と林氏も内之浦でのロケット開発実験に邁進することになったのだ。