共和国の歴史

宇宙空間観測所

ロケット開発の栄光と苦悩〜後編:内之浦から世界へ〜

2016.06.01 up

内之浦から未来へ

科学衛星からの電波を追跡受信するアンテナ

これまでに400機を超えるロケットを打ち上げてきた内之浦宇宙観測所。中でも有名なのは2003年に打ち上げられた小惑星探査機『はやぶさ』だろう。

「帰ってきて」 祈る想い

小惑星探査機『はやぶさ』

小惑星探査機『はやぶさ』と小惑星イトカワ

イトカワは、地球から約3億km離れた、地球と火星の間の軌道をまわる直径535mの小惑星。ここには太陽系ができた当時の痕跡が残っていると言われている。『はやぶさ』の使命は、そのサンプルを採取すること。イトカワの名前は、1999年に亡くなったロケット開発の父、糸川氏にちなんでつけられた。

2003年5月9日。『はやぶさ』を搭載したM(ミュー)-V-5が打ち上げられると、歓声が湧いた。「無事に帰ってきてほしい」。2年かけて小惑星『イトカワ』にたどり着き、地球に戻ってくるのは4年後。小惑星の試料回収という意味でも、成功すれば人類初の快挙となる。3年前のM-Vの打ち上げに失敗しているだけに、スタッフは改良に改良を重ね、万全の体制で臨んだという。イトカワに残されるターゲットマーカーという球体には、世界中から寄せられた88万人の名前が刻まれ、内之浦だけではなく世界中が見守る打ち上げとなった。

はやぶさの軌跡

■2003年 5月9日…M-V-5『はやぶさ』打ち上げ
■2004年 5月…地球と月を撮影
■2005年 7月…エンジン1基故障
10月…2基目のエンジン故障
11月20日…第1回イトカワ着陸失敗
11月26日…第2回イトカワ着陸。ターゲットマーカー発射できず、燃料漏れ
12月8日…交信が途絶える
■2006年 1月23日…交信復活
■2009年 11月4日…エンジン全て停止
11月19日…2台のイオンエンジンを組み合わせて運転
■2010年 6月13日…地球帰還。翌日カプセル回収

『はやぶさ』は、小惑星イトカワとの距離や着地地点を
自分で判断して近付く「自律航法」を採用。

宇宙のはるか彼方で交信を絶った『はやぶさ』。内之浦の人たちは、「どこにいってしまったのか」「無事に帰ってきて」とまるで自分の家族のようにその行方を心配していたという。2010年6月13日、7年の歳月を経て無事に地球に帰還。大気圏突入で『はやぶさ』自身は燃え尽き、イトカワの砂を採取しているかもしれないカプセルだけがオーストラリア南部で回収された。
「一度行方不明になって戻ってくるなんて、人間みたいですよね」と白坂さん「カプセルを持って帰って自分は燃えつきていく。その壮絶な生き様に涙が出ました」と橋本さんも懐かしそうに当時の気持ちを話してくれた。

小惑星「イトカワ」の資料がはいった、『はやぶさ』のカプセル

イプシロンをどうか内之浦で!

『はやぶさ』帰還の喜びに湧いた内之浦。だが、観測ロケットは打ち上げているものの、M-Vクラスの大きなロケットの打ち上げが少なくなっていた。「また内之浦でロケットを打ち上げてほしい」その想いは、町の人だけではなく、スタッフもまた同じだった。

小さな観測ロケットは内之浦、大きなロケットは種子島という流れが固まりつつあった。しかし検討の末、イプシロンの打ち上げを、その前身であるM-Vを打ち上げてきた内之浦に決定。M-Vの施設の大部分を使用でき、改修費用が抑えられることや種子島の打ち上げ集中を避けるなどの理由とされたが、町民の「協力します!」という声が後押ししたのは言うまでもない。

イプシロン打ち上げ前には、港でスタッフと町民総勢300~400人が集う大宴会を行った。飲んでバーベキューを行い、「先生、きばれよ」とみんなで署名をし、スタッフを励ましたそうだ。

2013年に打ち上げられたイプシロン

2013年9月14日。2万人以上のロケットファンが内之浦に訪れ、イプシロンの発射を待った。6か所の一般見学場はどこも満員。7年ぶりのロケット打ち上げに町中が湧いた。「内之浦にロケットが帰ってきた」「内之浦を選んでくれた」その喜びで、町民は心からの振る舞いと打ち上げへの協力を惜しまなかった。
「内之浦は陸続きでロケットが上げられる、宇宙に一番近い場所。これからも永遠に発展してもらいたいです」。

町の人たちの熱い想いも載せ、内之浦から宇宙へと打ち上げられたイプシロン

内之浦の半世紀を未来につなげる

中部さんは、定年を迎える前から、どうしてもやっておきたいと思っていたことがあった。それは、「今日までの多くの不具合や失敗を乗り越え、技術を蓄積して諦めない精神でプロジェクトを成功に導いたマネージャー、先生、メーカー、職員、そして地元の方々のご苦労や協力を記録に残す」というものだ。

JAXAの先生方と相談して編集委員会を結成。2012年1月に『宇宙空間観測の半世紀/随想集』を完成した。同年4月には「ロケットの近くにいたい」と鹿児島県鹿屋市に移住。元南日本新聞通信員の牧工さんに協力を仰ぎ、2年間かけて内之浦の歴史・産業・生活の記事を『新聞で見る内之浦宇宙空間観測所50年史』として電子化した。2年前より、元宇宙科学研究所所長の秋葉先生と林紀幸氏から膨大な資料を借りて林友直先生の協力も得て「多くの不具合や打ち上げ失敗」の調査を進め、『宇宙開発60年史』をまとめあげた。これは元宇宙研広報の阪本先生の依頼でもありました。

〔写真の一部は、写真家の牧工さん(元南日本新聞通信員)よりご提供いただきました。

取材メモ

中部さんがまとめられたデータの膨大さと細かさに感服した取材でした。これも「ロケットに関わった人間のドラマ、苦労、想いをまとめたい」という想いから。「大きな家族」という糸川先生当時からの宇宙研の体質に倣い、宇宙研のみならず、内之浦と、そして内之浦のみなさんのことも、家族として愛情深く接していらっしゃることが感じられました。

取材・文/松田享子 写真/日高裕之、牧工(写真家/元南日本新聞通信員)

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